
「日本語は簡単」と言うジョイス氏ですが、一方では、
「日本語の習得を難しくしているもの、少なくとも、ほかの外国語を学ぶようにはいかなくしているものがある」
ことを認めています。日本語の奇妙なところとして彼が挙げているのが、
「会話が相当できるようになっても、なかなか文章が読めるようにならない」
という点です。やっぱり、読むのは苦労するんですね。
「日本語の場合、新聞を読めるようになる、似たような文字を区別して目で追っていけるようになるというのは、きわめて高いハードル」
なんだそうです。
日本人が、漢字を導入し、そこからひらがな、カタカナを案出し、カタカナは外来語を表記するための文字に転用され、さらに文中にローマ字で書かれた単語が少しぐらい混じっていても問題ないと考えるに至っているという話をイギリスの友人にすると、
「みな信じられないという面持ちで首を横に振る」
とのことで、
「日本語の表記方法はおそろしく厄介だ」
とジョイス氏は記しています。
こんなあたりを読むと、なんか、やっぱりホンネ日本語は難しいと思ってるんじゃないのかなあ?という気がします。
ただ、日本語は難しいということにしておいた方が、
「その難しい日本語をあやつれる自分」
という話になって都合がいいらしいことを語っているので、難しい点も書いているのかもしれません。
しかし、こういうふうに言われて改めて気づかされるのですが、昔は中国や朝鮮から、明治維新後や戦後は欧米からどんどん文字を取り入れて、それに違和感を感じないというのは、日本人という民族の特性なのですね。
アルファベットを使う国の人たちが、カタカナや漢字を新たに導入するなどという発想はないみたいですから(あるのかな?)。
このことは、日本人が諸外国と比べて、外からのものを吸収したり消化したりすることに関して、はるかに柔軟な指向を有する民族であることを示していると思うのですが、どうでしょうか。それがこの国が、模倣からスタートして、そこから新たなものを創造する力の源泉となったように思うのです。
結局、
「どうもやっぱり日本語は難しいらしい」
という認識に私達が落ち着くとなると、なんか、ちょっと日本語を話す外国人にも、思わず、
「日本語、上手ですね」
と言ってしまいがちです。
ジョイス氏は、この「お世辞」を、
「励ましと受け取って感謝すべき」
というのですが、しかし、それも度が過ぎると、
「お願いだから、日本語が上手だと言うのはやめてくれ。ぼくは日本語で『洋服』を何と言うのかもまだ知らないんだから!」
なんだそうです。
まず困るのは、日本語で話しかけると、話し相手がこぞって、まるでそうしなければいけないとでも思っているかのようにお世辞を言ってくることだ。得てして、欠点を指摘するよりも長所を誉めてあげる方が学習者にはいいように思うのですが、もしかしたら、そろそろ私達も外国人の、
「日本語、お上手ですね。ペラペラですよ」
ぼくは初めてこの言葉を言われたときのことをいまでも覚えている。何を言われたのか、全然わからなかったからである。後で友達が、「お上手」は「上手」と変わらないこと、「ペラペラ」は「流暢に」という意味だと教えてくれた。日本語が達者だと言ってもらえたのに、当の本人はその日本語の意味がつかめなかったのだ。
「日本語、上手ですね」
のレベルを引き上げてもいいのかもしれませんね。
「イチローじゃないよ。い・ち・ろ・う、だよ」
「マツイーは間違い。ま・つ・い」
ぐらいあっても。
(参考引用 『「ニッポン社会」入門』)
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ラベル:日本語、上手ですね
>「イチローじゃないよ。い・ち・ろ・う、だよ」
>「マツイーは間違い。ま・つ・い」
>ぐらいあっても。
昔の松○電器のTVCMを思い出した。w
同音異義語や雰囲気で使う擬音も外国人にはやっかいかもね。
発音のことを言ってるのでは。
メジャーとかを見ていると、イチローを読み上げるときに「イ」の部分の音程が高かったりしますし。
西洋でも「これ下さい」とか「これいくらですか」位を話すだけで、
「まあ!○○語喋れるの!?とっても上手よー!」と褒められる事は多い。
英語圏だと殆どないね。
下手で無茶苦茶な私の英語を必死で意味を汲み取ろうとしてくれたりするから、
別に馬鹿にしてる訳ではないんだろうけど、
英語喋ってくるのは当然とは思ってるよね。
いっそアレックスとか外国名にでもすればよかったのに・・・。
「忠犬アレ公」か「忠犬アル」。
漢字に全部ルビ振ってある漫画辺りから勉強しだすと良いんだろうか?でもそれだとあまり勉強にならない気がするなぁ。
漢字が簡単かつ少ない児童文学から読み始めるのがいいのかな?
もしかしたら、
異なる国の文字を受け入れてしまう懐の深さが有るのと同じ様に、発音やイントネーションの部分でも、その懐の深さゆえ 受け入れてしまっているのかも。
英語圏いがいなら自国の言葉を話してもらえるのはうれしいんじゃないの?え
「謝謝」と言ったら、にこにこしながら
さらに山盛りに盛ってくれたよw
どこの国の人でも自分の国の言葉を話してもらえると
うれしいもんじゃないの?